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【史実競馬レースを再現!】”三冠ウマ娘” シンボリルドルフ 1984年 皐月賞『シンボリルドルフ、王者の競馬を見せるか!』名実況 ウマ娘 MAD

【タイムスタンプ】
00:00 態勢完了スタート
01:05 前半1000m
01:36 最終コーナー
01:47 最終直線

【優勝:シンボリルドルフ】
別名“皇帝”。 トレセン学園の生徒会長を務め、レースでの実力、政治力、人格はどれも飛び抜けている。 エゴイストではなく、常に己が正しい規範となることを意識し、ウマ娘誰もが幸福になれる時代を目指す理想主義者。 トウカイテイオーから慕われている。

1984年 報知杯弥生賞 (OP), 1984年 皐月賞 (G1)
1984年 東京優駿 (G1), 1984年 ラジオ日本賞セントライト記念 (OP)
1984年 菊花賞 (G1), 1984年 有馬記念 (G1)
1985年 日経賞 (OP), 1985年 天皇賞(春) (G1)
1985年 ジャパンC (G1), 1985年 有馬記念 (G1)

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ウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOP

劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』

アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』

【レース】
1984年4月15日
中山 芝2000m
晴 良
10R 皐月賞

【結果】
1着 シンボリルドルフ / 岡部幸雄
2着 ビゼンニシキ / 蛯沢誠治
3着 オンワードカメルン / 中野栄治

【実況】
フジテレビ系列版

ラジオたんぱ版 (JRA)
1984年 皐月賞(GⅠ) | シンボリルドルフ | JRA公式

【再現度】
星2:★★☆☆☆

1981年(昭和56年)3月生まれの鹿毛の牡馬(84世代)。父パーソロン、母スイートルナ、母父スピードシンボリ。

1983年(昭和58年)、岡部幸雄とのコンビの元、新潟競馬場の新馬戦でデビュー。続くいちょう特別(現GⅢ・サウジアラビアロイヤルカップ)、オープン戦を勝利し、無敗のままこの年のレースを終える。

その勢いのまま1984年(昭和59年)の初戦である弥生賞(当時GⅢ、現GⅡ・弥生賞ディープインパクト記念)を制してクラシック三冠路線に乗り込むと、無敗のまま皐月賞・東京優駿(日本ダービー)(双方ともGⅠ)を制覇。秋初戦のセントライト記念(当時GⅢ、現GⅡ)もレコードタイムを叩き出して優勝すると、その勢いのまま菊花賞を制し、史上4頭目(昭和最後)の三冠馬となった。中央競馬において、無敗の三冠馬は前身の国営競馬時代から通しても初の事例であった。

菊花賞の次は中1週でジャパンカップに挑み、前年の三冠馬・ミスターシービーや海外の強豪勢との対決が注目されていた。しかし、本番ではそのシービーとクラシック三冠で幾度も鎬を削ったライバルにして当年の宝塚記念馬であるカツラギエース(このレースでは10番人気)が大逃げを展開し、生涯での上がり最速を記録する脚で追いかけるも逃げ切りを許した上、2番人気だった英国のベッドタイムにも及ばず3着に敗れ、デビュー後の連勝記録は8でストップする形となった。

ジャパンカップの後は有馬記念に参戦。シービー、エースとの「三強対決」ムードが漂う中迎えた本番では、逃げるエースを徹底マークして2番手でレースを進めると、最後の直線でエースを交わし、粘り続けるエースを2馬身差で退けてレコードタイムで優勝。

これらの功績を讃えられ、この年の優駿賞(現:JRA賞)最優秀4歳牡馬(現:最優秀3歳牡馬)及び年度代表馬に選出される。

余談だが、ジャパンカップでカツラギエースに敗れたルドルフ陣営は、カツラギエースが有馬記念での引退を表明していたこともあり有馬記念がリベンジの最後のチャンスとなってしまい、「ここで負けたらルドルフもただの馬になってしまう!」との覚悟でレースに臨んだという。

翌年も日経賞(GⅡ)で始動すると天皇賞(春)を制覇。次いで海外遠征の前哨戦として宝塚記念に出走する予定だったが故障により回避する羽目になり、海外遠征も取りやめとなった(帯同馬となるはずだったシリウスシンボリのみが遠征に出発)。その後治療の末に何とか回復し、ぶっつけ本番で挑んだ天皇賞(秋)は2着に敗れるものの、ジャパンカップ、有馬記念を制してGⅠ7勝を挙げ、七冠馬と称される。この年の優駿賞でも最優秀5歳以上牡馬(現:JRA賞最優秀4歳以上牡馬)及び年度代表馬に選出される。

1986年(昭和61年)にはいよいよ前年に果たせなかった海外遠征に着手。春はアメリカ・秋はヨーロッパにそれぞれ遠征するという予定だったが、初戦として出走したアメリカのGⅠ・サンルイレイステークス(現GⅢ・サンルイレイハンデキャップ)のレース中に故障(左前脚繋靭帯炎を発症)してしまう。

結果レースは7頭中6着と大敗し、遠征を中止して帰国に追い込まれた。帰国後は再度の海外遠征も検討されたが最終的には引退することが決定し、同年12月7日に中山競馬場で引退式が実施され、翌年から種牡馬となった。

引退の翌年の1987年(昭和62年)、JRA顕彰馬に選出されている。

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